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なるほど・・
from:
ちゃびん
2011年11月21日 20時05分
はじめましてみなさま、ちゃびんともうします。
「生活と健康」分類で綴らせてもらいます。
私は永年の「かかりつけ医」昔でいうところの「じぶん先生」をもっていて医療(主に西洋医学)の施しをうけております。しかしながら「うける」ばかりではなく、時に先生を怒らせてしまうこともあります。通常社会適応レベルでの会話で先生は突然不意に「怒る」のです。それについてはなんの感情も持ちませんけれど。さて、「その瞬間」にもどしましょう。
そのときは「えっ!?」と感じるのですが、不思議なことに未来へ時間が進行していくにしたがい「怒った先生の意味」がじんわりと染み込んでくることが私にあるのです。そのカードナンバーは先生すらわからないのです。(あたりまえですけれど・・・)
逆転思考でいけば、かかりつけ患者がいる。よくよく患者は知っている・・・、不意打ちにあう、「怒る」。 というパターンが治療者(先生側)にもおこっているといえます。その際、なんらかの作用により、その患者に合った「まさに天才的な発言」をしてしまった・・・が、受け手の解釈により「感謝されるorされない」、という局面が出てくるかの如くです。
自分(先生自身)は治療に向けて努力している、そして患者である(私)は予防に向け努力している。その、ある瞬間にカチィ〜ンと問診が行われ、結果として天才的な経路を導く。
事態は、50:50で進行しており技術で説明しきれないところで、あらゆることが全うされていると感じております。医療社会は進歩したとはいえ、しょせん「ヒト」と「ヒト」の振幅で、よい処へ、またかんばしくない処へ進行します。勘どころが違いつづければ破滅的な結果となる・・・。
それは「生活」にも影響を及ぼしていて、短絡的に考えると「・・・のせいだ」という自己結論を産みだしかねません。特に、近年の個人病院の待合室での患者さんの一部は、辛いはずなのに「ケータイゲーム」を親子で熱中している光景を見かけます。場合によれば、点滴を挿している「その方」が片手でケータイとにらめっこしている・・・。
昔々は「生活と健康」は微妙なバランスの中で成り立っておりましたが、最近は「我」が少し強く、生活は「生活」、健康は「健康」的な繋がりのない社会構造のような気がいたしました。
そのカードナンバーは最近は「未来」でさえも、わからないような気がいたします。
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いのち
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カテゴリ:
生活と健康
from:
ちゃびん
(投稿者)
2011年11月25日 00時45分
ベンハー親方から、「少し難しい」とのご指導賜りましたので、くだいて「くたくたのうどん」のようにします。
失礼しました・・・
m(_ _;)m ゴメン!!
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from:
ちゃびん
(投稿者)
2011年11月25日 20時42分
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私は永年の「かかりつけ医」昔でいうところの「じぶん先生」をもっていて医療(主に西洋医学)の施しをうけ
ております。しかしながら「うける」ばかりではなく、時に先生を怒らせてしまうこともあります。通常社会適
応レベルでの会話で先生は突然不意に「怒る」のです。それについてはなんの感情も持ちませんけれど。
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突然不意に怒るときに、言われた方の本人は感じます。
「なに大きい声にして言よるんやろ・・・」 と。
その後「不意」を実感するわけです。
「なんでや?」 と。
生真面目なほどのメッセージの実行に自分はがんばっているのに・・・
「なんで・・・?」
・・・そうか、先生は何百人の患者さんといわれる「ヒト」と常に真剣勝負で立ち向かっているんだ。
おい! 自分ならできるか? ・・・・・ 「無理かな......」
/今日はここまで
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from:
ちゃびん
(投稿者)
2011年11月26日 11時59分
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そのときは「えっ!?」と感じるのですが、不思議なことに未来へ時間が進行していくにしたがい「怒った先生の意味」がじんわりと染み込んでくることが私にあるのです。そのカードナンバーは先生すらわからないのです。(あたりまえですけれど・・・)
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「不(可)思議」という言葉の奥の深さをあらためて感じ入る次第です。
人同士の「やりとり」のなかで進行していってそうなったのですが、結局「ふしぎやなぁ〜」と。
治療者である先生はそのようなことを顧みるひま無く、次の患者さんのために施しをしているので、たぶん経験はしているけれどじっくり考えることはないのかもしれません。
日本では昔から「虫の知らせ」という当て込み言葉で、「そういうもんだ。(マル!)」という収め方をしています。
私のこの出来事は「虫のお告げ」なのでしょうか?
人と人の関係や、まだ科学では解明されていない私たちの世界には、なにかしら素晴らしくもあり、また残酷でもある「説明できることが不可能ななにか」や導いてくれたり、拒絶させたりしてくれているように思います。
(くたくたにするはずが、真逆になったかな?)
/今日はここまで
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from:
ちゃびん
(投稿者)
2011年11月29日 22時17分
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逆転思考でいけば、かかりつけ患者がいる。よくよく患者は知っている・・・、不意打ちにあう、「怒る」。 というパターンが治療者(先生側)にもおこっているといえます。その際、なんらかの作用により、その患者に合った「まさに天才的な発言」をしてしまった・・・が、受け手の解釈により「感謝されるorされない」、という局面が出てくるかの如くです。
自分(先生自身)は治療に向けて努力している、そして患者である(私)は予防に向け努力している。その、ある瞬間にカチィ〜ンと問診が行われ、結果として天才的な経路を導く。
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前編は、何のことはない「信頼関係」です。双方の肉体の挙動を通じてのやりとりです。昔々からあったもの、ですが、情報化社会も過ぎたるはなんとかで、目の前にいる相手方がときにネットワーク越しに「オル」場合、ヒトってドロドロとした腹におさめてやりとりすることを、あっけらかんと電子ビーム(文字)でこちらより送信してしまいます。双方はどちらも「感謝されない」事態です。どちらもあまりはっぴぃではない。
後編は、色々状況を想像してみました。医者と患者、理容師とボサボサ頭の客、あんま師と腰痛もち、生演奏者と聴き手・・・、まぁ結構「こうじゃないと」の関係はあります。千年先もたぶんこれらの関係は変わらないように考えています。変わりようがないのです。
(伝えたい志は、半ばですが・・・)
/今日はここまで!
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from:
ちゃびん
(投稿者)
2011年11月30日 09時20分
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自分(先生自身)は治療に向けて努力している、そして患者である(私)は予防に向け努力している。その、ある瞬間にカチィ〜ンと問診が行われ、結果として天才的な経路を導く。
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まぁ、思考中断するぐらい微妙な感の、ある種の偶然もしくは必然が「虫の知らせ」や虫のお告げによって起こるわけです。怒っていた双方に起こるんですね・・・。その類を、少し他の職人さんに見立ててみました。医療ほどキワどいやりとりはないのですが、散髪だけで言えば「あれっ? おかしいなぁ〜 いつもより髪型が変。 あれ? おかしいなぁ〜 いつものお客さんの帰り際の表情と違う」
そこら辺は、深刻度であったり期待度で受任限度であったりします。
すこしだけ双方が「自分を預けている」そんな状態でしょうか・・・。
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from:
ちゃびん
(投稿者)
2011年11月30日 20時59分
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事態は、50:50で進行しており技術で説明しきれないところで、あらゆることが全うされていると感じております。医療社会は進歩したとはいえ、しょせん「ヒト」と「ヒト」の振幅で、よい処へ、またかんばしくない処へ進行します。勘どころが違いつづければ破滅的な結果となる・・・。
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それだ、まさに、のほんの少し前に通常は「なにか」が決定され全うされる・・・う〜ん、伝えにくいけれど「阿吽」の阿のまだ一寸前・・・。ビッグバン以前での全ての・・・。
こんな感じでしょうか。
「技術」「医療社会」の言葉は、そこを少し皮肉っていますかねぇ〜。当事者の方誠に申し訳ございません。
文明は進化し続け、それを扱う「ヒト」もツカイカタでは進歩していきます。ところが、ついていけない人は螺旋を逆回ししてどうしようもないこととなる。
Confusion will be my epitaph.
雄ネジ雌ネジ知らんぷり〜、ではなくて。
そこではこう、あそこではそう、いうところの感性(勘どころ)は意外にも測定不能であれ的を得ているのだと思います。
しかし、この原始より獲得した「感性」は「今」、如何様になっているのでしょう???
このあたりは、ちょっと昔を振り返ると私世代(40過ぎ)でならまだわかるんですよ。。。
夕方のにおい。冬の月の凛々しさ。春の揺らぎ・・・
これらは、別に預けなくても自分からそれらにゆだねることができます。
(伝えたい志は、半ばのまだ半ばですが・・・)
/今日はここまで!
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from:
ちゃびん
(投稿者)
2011年12月02日 19時25分
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それは「生活」にも影響を及ぼしていて、短絡的に考えると「・・・のせいだ」という自己結論を産みだしかねません。特に、近年の個人病院の待合室での患者さんの一部は、辛いはずなのに「ケータイゲーム」を親子で熱中している光景を見かけます。場合によれば、点滴を挿している「その方」が片手でケータイとにらめっこしている・・・。
昔々は「生活と健康」は微妙なバランスの中で成り立っておりましたが、最近は「我」が少し強く、生活は「生活」、健康は「健康」的な繋がりのない社会構造のような気がいたしました。
そのカードナンバーは最近は「未来」でさえも、わからないような気がいたします。
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というわけでして、伝えたいことは伝えようとするほどに、おもくなって「始と終」がどこだったのかわからなくなってきます。「辛いはずなのに「ケータイゲーム」を親子で熱中・・・」はそれを観ている「なにか」です。合わせ鏡の始点を探るような果てしないものです。
観ている「なにか」は、かつては「始と終」が繋がっていたかのように見えたのに、最近では文明がその領域を凌駕して「阿吽の呼吸」すら赦してくれない「息づかい」になろうとしています。
「生きる自信」とは、鏡を合わせれば「死ぬ覚悟」でもあって、それまでどのような「生き」つかいを私たちはおこなうのか? まさに現実が問いかけているように感じています。
philosophy fantasy ・・・・・
あらゆる学識を超えたところの森羅万象、その人に依る・・・いきつかい
あとは妄想で耽りましょう。 九十五才まで・・・。
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